M氏の将棋

序盤戦術と自戦記書くよ(`・ω・´)

自分の将棋史

Marsです。このページでは僕の序盤戦術や戦法についての考え方の軌跡を書いていきます。

 

まず、僕が普段使う戦法は基本的に100%振り飛車です。級位者の頃からずっと四間飛車党でしたし、三段の頃からはノーマル中飛車や風車を使うようになりました。居飛車を試したことも何度かありましたが自分の攻めるタイミングというものが掴めずに毎回断念しました。

 

級位者時代

僕は高校1年生の時に将棋を始めます。最初は棒銀とか升田式石田流を指していましたが、ほどなくして石田流ではどうしても複数の戦法を使い分ける必要があることが分かり、その点が少し気になりました。というのも当時は将棋部ではなく吹奏楽部だったので将棋に割ける時間は少なく、また定跡を棋書ではなくネットで仕入れていたため資料が確保できないという問題がありました。研究を効率的に対局に活かすために「再現性の高い戦法」=四間飛車を採用し始めました。

ちなみに、当時参考にしていたサイトの多くは今ではYahooジオシティーズのサービス終了に伴ってネットの海に沈んでいきました(/_;) デジタル情報は歴史に残らないということを考えさせられますね。

初段の頃

大学に入学し将棋部に入ります。N先輩に対局で教えてもらうことも多く、駒の持ち方を覚えたのもこの頃です。それと同時に「上達」の二文字を意識し始めます。この頃は「上達=手順の最適化」という認識で、なんなら四間飛車に対する仕掛けを全て研究して網羅することを目指していたぐらいです。非常にストイックな思想でした。

とはいえ その「研究至上主義」ともいうべき考え方は、きちんと意味を持った堅実な序盤戦術に繋がりました。例えば僕は当時、下図のように対急戦・対居飛穴は共に32銀待機を採用していて・・・

f:id:Mars2718:20201211231929p:plain
f:id:Mars2718:20201211232103p:plain
対急戦14歩               対居飛穴41飛

対急戦14歩は山田定跡技巧2推奨の55歩に対して耐性がある点と、鷺宮定跡12香と比べて32飛が香取りにならない点の2点が主張で、また対居飛穴41飛は41飛~51角~33銀を目指す意図があり、しかもここで41飛と引くことでこのサイト ↓ で挙げられている問題点(53歩型には37桂~55歩、54歩型は59角~26角で居飛穴有望)が解決できているんじゃないかと考えていました。37桂には54歩68角51角として先手からの55歩を消せるし、59角には63金として53歩を維持することで26角を牽制できてそうな気がします。

blog.livedoor.jp

そんな感じで序盤にこだわりながら、自分の将棋のスタイルが確立されてきたのがこの初段の頃でした。また大学1年の夏には定跡を忘れないための備忘録として「ノーマル四間飛車32銀型のブログ」を書き始めました。

 

二段の頃

大学1年の後期、ありがたいことにこの時期は学生大会や他大学の強豪の先輩との対局を設けてもらうことが多く、「実戦から学ぶ」という点では恐らくこの時期が僕の将棋史の中で最も進歩があった時期でしょう。棋力も初段から二段に進化しました。以下はこの頃の棋譜の一部です。

先手:他大の強豪の方

後手:僕

(開始図)より 32飛成同銀24歩同歩45歩36歩23歩33角31飛42金44歩41金同飛成同銀45桂(結果図)

f:id:Mars2718:20201212021602p:plain
f:id:Mars2718:20201212021748p:plain
(開始図)               (結果図)

開始図では後手満足の展開ですが、以降23歩にびびって33角と逃げたのが悪手で、更に進んで44歩に41金ではなく37歩成なら後手優勢の流れでした。手を逃して負けたというよりは問題は他にあり、当時の僕は事前研究の外の局面に踏み出すと途端に良い手が見えなくなるという感じでした。実戦的な欠陥による失敗を続けた結果、ある事実に気付くこととなります。

研究じゃ勝てない・・(。-`ω-)

終盤力や棋力というものの大きさを意識しだしたのがこの時期でした。そして続く秋の学生大会団体戦で0勝3敗を叩き出したのが後押しして、本気で中・終盤力を強化しようと思い始めたのでした。

 

退廃した生活と病み期

中終盤の強化で思いつくはひとつ。詰将棋

大学1年の12月、ここから猛烈な詰将棋生活が始まります。将棋部の部室から詰将棋の本を10冊ほど借りてきて平日50問、休日120問を毎日続けました。当時主将で四段の棋力がある O先輩に詰将棋のトレーニング方法をお訊きしたりして、1問60秒考えて解けなければ解答を見て次の問題に、本を何周もして60秒で解けだしたら次30秒・・15秒・・のようなトレーニングを始めました。大学から帰ったら詰将棋、休日も5時間ぐらい詰将棋してどん兵衛 食って詰将棋して寝る・・・という生活をしていました。

f:id:Mars2718:20201212024122p:plain

天ぷらそば

2月~3月一杯までの春休みはもっと激しく、一日のノルマ160問。もちろん対局をまともにせず詰将棋だけやっても、それだけで中終盤力が身につくわけではありません。なので実のところ、効果のためのトレーニングというより 自己満足のためのトレーニングに近かったように思います。とはいえ実際、詰将棋を大量に解くことで読みの力が向上したと感じていました。依然として大局観はザルであっても高精度な読みが可能になったことで少し将棋の見え方が変わってきた時期がこの時期です。

 

そんな習慣を続けて大学2年生の5月、胸を張って春の学生大会団体戦に出させてもらいました。

結果はなんと1勝4敗・・・

え( ゚Д゚)

 

この大会では明らかに常識無視な手が目立ちました。自玉が薄かろうと危険な筋が見えていなければ良し、とでも言うかのような将棋でした。確かに以前より長手数の手順を正確に速く読めるようになったのは事実でした、しかし二段~三段程度の棋力ではどうしても必ず読み抜けが生じます。それが致命傷になる将棋がこの頃 多発しました。

しかも1勝4敗で病んで将棋部辞めました(笑)

ただし将棋の勉強自体は平常運転で、詰将棋なんかもいつも通り続ける日々がたんたんと続きました。

 

四段の頃

そういうことでちょっとしょぼくれてスタートした大学2年生。しかし夏の間、ありがたいことにO先輩とVSをしてもらう機会がありました。対局数は結構やりましたが、それ以上に一局一局で得るものが大きかったです。それと「強くなったじゃん」的な励ましをもらったのが精神安定上めちゃめちゃ大きかったです。棋力は順調に伸び、秋の学生大会団体戦では3勝2敗ながら強豪1人を倒して満足の結果が得られました

\(・ω・。)/

 ところでこの頃は戦術に関する大きな転換点でもありました。それまで四間飛車一筋だったところを、この頃になるとツノ銀中飛車や風車を指すようになりました。

f:id:Mars2718:20201212075319p:plain
f:id:Mars2718:20201212075334p:plain
f:id:Mars2718:20201212075358p:plain

なぜ風車なのかというと、相手が専用の対策を持っていないことが多いので四間飛車より逆に勝ちやすいのでは?と考えたからです。当時の対四間飛車の人気の戦法はトーチカ(ミレニアム)と銀冠穴熊の2つで、体感では居飛穴よりも多く指された気がします。そのような最先端の四間飛車対策が打ち出される中、ネットでは十分な情報を取り入れることができなくなりました。バイトをする気がなかったので棋書を買う気もありませんでした(;'∀')

その情報不足の状況を打破するための選択が「風車」でした。オリジナリティのある戦法や独自研究で勝つことができれば、トーチカなどの新戦法に振り回されることもないと考えたわけです。

 

オリジナル戦法と伸び悩み

オリジナリティ・独自研究 この2つの単語は大学2年後期から大学3年の頃のテーマになりました。風車に端を発し、宗歩四間飛車を採用したり、たくさんのアイデアや戦法を考えて実戦で試したりしました。当時試行錯誤したものをいくつか軽く紹介してみます。

f:id:Mars2718:20201212192343p:plain
f:id:Mars2718:20201212192454p:plain
f:id:Mars2718:20201212193336p:plain
f:id:Mars2718:20201212203242p:plain


左上の図は風車調の構えから金上がりを活かせないか模索していました。結局2筋の早めの歩角交換から1筋突き捨てて13歩とされるのに対処ができなかったのでこのアイデアはボツになりました。次に右上の図は「きつね流」と勝手に呼んでた作戦で、これは結構実戦で通用しました。ただし対急戦で若干不安が残ります。次に左下の図はelmoに対して43金と上がって手厚く受ける意味です。定跡を外して力戦調に持ち込もうという思想が特に強かったのがこの時期です。最後に右下の図は54金型の風車のような陣形です。意図としましては6筋を交換した後64金と寄る手を見せたり、あと単純に64歩と53歩に紐を2枚つければ囲いの強度が上がるんじゃないかという狙いでした。これは可もなく不可もなくという感じでした。

他にもアイデアは山のようにあるので、機会があれば全て紹介しようと思います。

 

さて棋力については、大学2年生の後期の間は急速な伸びを感じていましたが、大学3年になるとそれまでのような目に見える上達が感じられなくなり、詰将棋による上達に限界を感じるようになりました。おそらく詰将棋が足りないのではなく、例えば「物理のテストで20点を25点に伸ばすのは簡単でも、93点を98点にするのは容易なことではない」みたいなものでしょう。当時の僕は詰将棋による読みの力以外にもっと改善すべき点がありました。その時の僕もそう判断して、大学3年の6月頃にクエスト2切れを本格的に始めました。実戦を質ではなく数をこなすことで見えてくるものがあるかもしれないと期待していました。

 

2切れと最近

大学3年と4年は大学の方が少し忙しかったので将棋に割ける時間は以前ほどはありませんでしたが、それでも詰将棋を少しと2切れをメインに対局を続けました。2切れは確かに手は荒れますし論理的な大局観は身につかないのですが、経験的な大局観が養われた気がしました。例えば「この銀を逃げていては勝てない、ここは負けても攻め合うべき」という判断は、経験の量が効いてくる判断だと思います。直感や嗅覚、その点においては2切れは有用なトレーニング方法だと思いました。

 

大学4年の春からは対抗形では「m式ツノ銀四間飛車」、相振りでは「54金型向飛車」を採用しました。いずれも玉は薄いですが自力で局面を動かすことができる「具体性」があるので、実戦的にそこそこ優れていると思っています。ソフトの評価値は200~300ぐらい不利ですけどね・・・

f:id:Mars2718:20201206195248p:plain
f:id:Mars2718:20201213011117p:plain
m式ツノ銀四間飛車             54金型向飛車 

 

今が大学4年の後期です。2切れのレートが安定2200、瞬間風速2280、24のレートが安定2250、瞬間風速2400、段位だと24四段~五段という感じです。

ここ2年ほど大会に出ていないどころかリアル対局すらほとんど指していないので、持ち時間の長い将棋に苦手の意識があります。今後は将棋倶楽部24や81道場に力を入れて対局したり、特に今後は自局検討で上達を図ろうと考えています。このブログで自戦記を書こうと思ったのも、そういう経緯がありました。

 

おしまい

2023/8/8追記
大学院修士を卒業ののち、現在は広島在住の社会人1年生です。新入社員だからなのか良い会社に就職したからなのか、残業はあまりないので休日はもちろん、平日でも将棋をやるのに支障のない生活ができています。将棋は2切れ最高2500八段、24はやっておらずウォーズ3切れ六段となりました。最近では再びノーマル四間飛車を採用しようとひそかに準備中ですが、なかなか高段帯だと研究で潰されかねないので怖くて実戦採用ができていません。しかし学生と違い一度 社会人になってしまえばもうタイムリミットは存在しません。数年のうちに強くならなければ、というプレッシャーから解放されたのは良いことでもあります。数十年後の「強豪のおじいさん」を目指してロングタームで将棋人生を過ごしていくのが最近の目標です。